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2010年9月26日 (日)

読者が大変な迷惑を被っている? -沈まぬ太陽批判に対する反論-

「沈まぬ太陽」は、日本航空の暗部をえぐり出すことに主眼を置いた山崎豊子氏の作品である。累計200万部を超えるベストセラーになり、昨年ようやく映画化されて話題にもなった本作であるが、事実とフィクションを織り交ぜて書いているために賛否があるのも事実だ。

読み終わった方には“日本新聞・鷹名記者”のモデルとされた記者による批判を一読することをお奨めしたい。本作品の中で、国民航空(日本航空)の思うがままに使われる記者として登場する本人の”沈まぬ太陽批判”である。

【論談小話】“日本新聞・鷹名記者”のモデルである高尾・日経記者による本作品への批判(タイトルはWikipediaから引用)

会長室編で鷹名という国航の御用記者のような人物が出てきた際、多くの読者は作者の創作があまりにも行き過ぎなのではないかと直感的に感じたのではないだろうか。しかし、書かれた本人による作品への反論を読むと、皮肉にも山崎豊子氏の書いたストーリーが決して根も葉もないものではなかったことに気付かされてしまうのである。

本作品への批判では、記者であるゆえか”小説”に対してもフィクションを認めない主張を延々と続けつつも、マスコミ人としての基礎である客観性・公平性を忘れ、作者やモデルとなった人物を「被害妄想、誇大妄想」と断じている。

そして、経歴や役職から判断して日航側に立って当然の人物によるコメントをズラリと並べて反論するのである。なかでも「堂本社長についての考察」というくだりは必読と言っていい。なるほど御用記者とはこういうものかという記述を目の当たりにすることになるからだ。

そもそも、山崎氏が本書で書きたかったのは、日本航空の暗部であろう。そのために組合活動のせいで10年近くにもわたり現代の流刑者とされた社員がいた事実、御巣鷹山で520人の命が失われたという事実、病んだ組織への改革を内外から妨げる動きがあった事実を拾い上げ、フィクションを織り交ぜつつ見事に活写しているのである。

「沈まぬ太陽」は一部の人物のために書かれたヒーロー物語ではない。筆者がこの小説で伝えたかった事実が何なのかを理解すれば、モデルとなった人物や団体の詳細が正しくないなどといった批判があまりに的外れであることも解るはずだ。

山崎氏はあとがきで、「巨大な組織であり、政治と結びついている航空会社の力は、予想を遥かに超え、個人の力など巨像の前の蟻に等しい。一時は挫折しそうになった。」と述懐している。これは、いかに週刊新潮の連載小説だった本作への妨害が凄まじかったかを暗に示している。

非常に勇気と忍耐のいる仕事だったが、許されざる不条理に立ち向かい、書き遺すことは現在を生きる作家の使命だと考えたとも著者は語る。ノンフィクションで全てをあらわにすることが困難な局面で、ギリギリの戦いをするために選ばざるをえなかったのが「沈まぬ太陽」で用いた技法ということなのだろう。

これが批判を招く結果にもなっているが、リアリティを追求し過ぎればとうに作品は闇に葬られ、日本航空の暗部をえぐり出すという悲願など達せられてはいない。このような「小説」に対し、取材をもとにして多面的に矛盾を突く努力には脱帽するが、だからといって「著者の晩年を汚すことは間違いない」「読者が人生観を誤り大変な迷惑を被っている」とまで言うのは、やり過ぎの観が否めない。

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