2011年3月 9日 (水)

食べログの功罪(7) ~風評被害問題を考える~

3月2日付で、食べログを運営する株式会社カカクコムが平成23年2月度のアクセス状況レビューを発表した。食べログのページビューは前年比48.1%増の3億9,260万とあり、競争の中にあって見事な成長を遂げていることがうかがえる。


この食べログという仕組みは非常に良く考えられている。多くのレビュアーに自腹を切って得た情報をタダで提供させ、その情報を金に替えるという意味においては、天才的なアイデアだと言っていいだろう。筆者としても、とてつもない将来性を感じずにいられない。


しかし、成長で社会的な影響力が増していくのと並行して、問題も膨らむことになる。現在のように、情報を集めることにばかり力点を置き、非常識な店舗攻撃にも対処しようとしない方針を続ければ、全国規模で食べログに泣かされる店主が増え続けるだろう。


では、食べログの運営サイドは今後もそういった店舗への風評問題を放置し続けるのだろうか?筆者の見解は違う。


運営者が訳のわからない団体や個人ではないからだ。株式会社カカクコムはれっきとした一部上場企業だ。言うまでも無く上場企業はレピュテーションリスクに敏感であるべき存在だ。今はサイトとしての規模拡大を優先してリスク要因を軽視しているようだが、いずれ方針を見直す時期がやってくるに違いない。


この分野で絶対的な地位を築き、安定した収益を確保できる体制にしたうえで、自ら保守的な運営に舵を切るという線も十分に考えられるだろう。もちろん、その前に風評被害を受けた飲食店による集団訴訟や、マスコミによる食べログ問題の狙い撃ちなどを受け、外圧で方針を変えざるを得なくなる可能性も否定できまい。


筆者は食べログというサービスの食文化への貢献も見逃せないと考えている。この一大スケールの情報サイトは、無形の社会インフラとして、客観的に評価した場合の価値も十分に高いと言えるだろう。


しかし、肥大化して力を増せば、その影響で飲食店を生かしも殺しもすることになる。もはや健全化に向けた取り組みは待ったなしの局面だ。店舗への風評問題を放置して食べログをモンスターにしてはならない。そのためには、飲食店側から上がる声にもう少し耳を傾けることが求められるだろう。

2011年3月 1日 (火)

食べログの功罪(6) ~風評被害問題を考える~

実を言うと、悪意に満ちた店舗レビューには、食べログの資金集めに寄与するような一面もある。その理由は食べログの課金システムの中に存在する。ライトユーザーは知る由もないことだが、”口コミは買える”のである。


食べログの有料会員店舗は、気に入った口コミを目立つ場所に表示する機能が使えるようになる。これは風評に悩む店舗にとっては嬉しいサービスだろう。口コミを取捨選択のうえ、悪評よりも目に付く場所に出せるようになるからだ。


このような有料会員に許されたサービスを踏まえると、食べログの攻撃的なレビューは飲食店を課金サービスに導く”優れた営業ツール”にもなり得る。そして、悪意に満ちた店舗レビューが資金集めに貢献するとなれば、食べログの運営サイドは容易にコメントの削除に応じたりしないだろう。


前置きが長くなったが、前回予告した筆者の対処した”3つの方法”の結果を以下に記したい。


第一の”投稿者へのメッセージ”には反応がない。これは予想されたことだ。第二の”食べログサポートへの連絡”も何ら成果がないまま終わった。これもネットでの前評判通りだろう。興味深かったのは第三の”口コミ欄で明らかな間違いを訂正する”という手段に対する食べログ運営側の反応だ。


前述のように、虚言を元に「1点もあげたくなかった」「代金を取れるようなものではない」とされたのでは、お店も浮かばれないと感じた筆者は、口コミへの反論を試みた。ところが、感情を抑えたしなめるように書いたその文章は、あっさり削除対象とされてしまったのである。


反論が攻撃的にならないよう細心の注意を払い、「匿名でもきちんとマナーは守るべきでしょう」で締めくくった一文が個人への誹謗中傷にあたるのだという。以上の結果から判ることは、口コミによる店舗への攻撃は、ガセネタをもとにして「こんな物でカネを取るな」という程度の内容であれば、削除されず、反論すら許されず、”やったもの勝ち”であるということだ。


確かに、悪意に満ちた店舗レビューの削除申請に耳を貸さず、さらに反論を封じるようにすれば飲食店は”口コミを買う”のかも知れない。やはり、課金システムに誘導するために運営サイドが意図してこういった方針を貫いているということなのだろうか?

2011年2月26日 (土)

食べログの功罪(5) ~風評被害問題を考える~

ここまで読んで「書いてる奴は誇大妄想癖ではないか?」と感じたとしたら、それは正常な感覚の持ち主だろう。むしろ当然の読者心理だ。常識で考えればネットの書き込みをした人間を辿るなどそうそう出来る筈が無いのだ。


実際、当初は筆者も犯人探しは出来ないと決め込んでいた。だから最後には店名を含めた全てを明らかにするつもりだと書いたわけだ。しかし状況は一変した。調べを進めるうちに次々と容疑者を特定しうる証拠が見つかってしまったのだ。


驚いたことに、近隣にある有名な同業者の店でも口コミでの嫌がらせが行われていた。時期もこれまで問題にしたものと一致している。有名店をこき下ろして、自店を高評価するIDも複数確認することが出来た。もはや疑いの余地はないだろう。


しかし、ここで筆者は立ち止まってしまう。


こうまでたやすく判断材料が掘り起こされるとなると、被害店の名前を出せば簡単に容疑者を辿れてしまうに違いない。そうなれば新たな風評被害を生む可能性すらある。しかし筆者としてもそこまでは望んでいない。


要するに実証実験どころでは無くなってしまったわけだ。


元はと言えば、なじみの店への目に余る暴言が気になって始めた調査である。つまり、原点に立ち返れば筆者の最終目標は”風評被害店の名誉回復”ということになる。


そこで筆者は、①投稿者にメッセージを送る、②「問題のある口コミを連絡する」というフォームと食べログサポートへのメールで両面から削除申請をする、③店舗の口コミ欄で明らかな間違いを訂正する、という3つの方法で事態の打開を図ることにした。


ターゲットの口コミには最も攻撃性の強いものを選んだ。内容をそのまま書くと検索されるので、表現をマイルドに変換すると以下のようなものとなる。


「パスタが固くてすくえない」「何の味付けもされてない」ほか様々な疑問符のつく指摘をしたうえで、「1点もあげたくなかった」「代金を取れるようなものではない」と断じる内容である。中にはスタッフへの中傷まであった。


ただの客に過ぎない筆者をここまで動かした内容だったことから連想して欲しいが、実物はこんな程度ではない。いずれにせよ、被害店舗にしてみれば、とんでもない嫌がらせであることは一目瞭然だろう。


それでは、食べログではこうした風評被害で傷ついた店舗の名誉が回復されることはあるのだろうか?対処した”3つの方法”の結果について次回報告したい。

2011年2月23日 (水)

食べログの功罪(4) ~風評被害問題を考える~

ここで再び心理分析に話を戻す。食べログを悪用してライバル店の評判を操作する人間の心理分析である。こういった禁じ手を使うことにためらいのない人物は、自分の店の食べログを自然の流れに任せておくだろうか?


否であろう。


そんな性格なら、自分の所はサクラ投稿で埋め尽くし、さも素晴らしい店であるかのように装うに違いない。他店を攻撃するのも自店を誉めるのも「情報操作」であることに変わりはないからだ。


果たして、実際に該当ページにアクセスしてみると、そこには怒涛のような賞賛コメントがあった。(口コミというよりPRになってしまっている箇所がやたらにあるのはご愛嬌か)


20席やそこらの小規模でオープンから間もない店に5件のコメントがあり、しかも全部が絶賛というのは、食べログの投稿頻度と評価傾向の常識にあてはめれば普通のことではない。


興味深いことに、この容疑者店への”賞賛キャンペーン”の時期と風評被害に遭った店への攻撃の集中するタイミングは見事に一致している。


まとめると、競合関係にある近場の2店に関し、一時期に常識外れの口コミ投稿数があり、一方の店は誉めちぎられ、もう一方は連続してネガティブな評価を書かれたわけだ。そして、繰り返しになるが、問題発生の時期は容疑者店の開店直後なのである。


これがただの偶然に見えるだろうか?


それだけではない。中には容疑者店に最高の評価を下しつつ、被害店をさんざんにこき下ろすIDまで見つかった。調べれば調べるほどに、疑いは深まるばかりなのである。


ここで筆者はもう一つ見落としをしていることに気づく。近隣に客入りの良い別のパスタ店が存在するという事実だ。その店は風評被害に遭った店よりも遥かに知名度が高い。


もしも嫌がらせの犯人が同業者なら、これを放っておくはずがないのではないか?

食べログの功罪(3) ~風評被害問題を考える~

ここで読者に一つ覚えておいて欲しいことがある。食べログにおける口コミの投稿頻度に関する話だ。


都心の有名店で席数100を超えるような店を見ていても、月に1件口コミの投稿があれば多いほうだ。さほど知られていない中規模店なら、せいぜい年間で数件といった回数が相場と言えるだろう。1年全く投稿が無いという店も少なくない。


事実、その店は風評被害を受ける直前まで、オープンから1年以上経過していたにもかかわらず口コミ投稿が0件だった。ところが1月中旬にあった初投稿から4日のうちに3件のネガティブ投稿が集中的になされるのである。


先に触れた”筆者のとんでもない見落とし”とは、この投稿期間の集中である。これに気づいていなかったために、筆者は容疑者の割り出しは不可能だと決めてかかっていた。しかし、それがヒントとなって今では最も疑わしいのが誰なのかを知っている。


判ってしまうとあまりに単純な図式だった。軽率すぎる嫌がらせに筆者はただただ驚くしかなかった。


普通に考えて、投稿期間の集中は偶然の産物ではないだろう。分析する場合、これに何か意味があると考えるのが妥当だ。では、この時期にお店の近隣で何か変わったことはあったのだろうか?


それはすぐに見つかった。直前に同じくパスタをウリにする価格帯の近い店が、近所でオープンしていたのだ。時期としては風評被害が始まる数週間前、店舗間の距離は200メートルといったところだ。


ただし、これだけでは状況証拠とするにしてもあまりに弱い。そこで筆者はライバル店の食べログを精査することにした。


そこでも驚きの事実に遭遇することになるのである。

食べログの功罪(2) ~風評被害問題を考える~

たまにランチでお世話になる店舗がネットで悪評にさらされていると知ったとき、真っ先に気さくな店主の顔が浮かんだ。本当に気の毒だ。心を痛めてはいないだろうか。そう思った。


だから筆者は、おせっかいにも実態に沿った口コミを入れることで事態の打開を図ろうとした。(実証実験は現在進行中なので、そのコメントについても今は明かせないが、解説では全てを明らかにする予定)


ところが、ここから事態は意外な展開も見せることになる。筆者が利用経験に基づいた晴れやかなコメントを入れると、さっそく最強クレーマーが登場するのである。その様はまるで暴風雨のようですらあった。


後述するが、そこには以前の書き込みよりもさらに酷い暴言が並ぶ。


ただ、興味深いことにこの投稿者は何点かミスを犯していた。過去の書き込みと共通する表現・語法を用いたうえで、過去に投稿されたのと同一の風変わりな見解を複数用いてしまっていることだ。


同じ口調で同じ主張をする属性が同じ設定の投稿者。ここまで材料がそろえば、答えは容易に察しがつく。複数IDを駆使した同一人物による執拗な嫌がらせが起きているということだ。


さあ、ここからは心理分析の出番となる。


通常、あらゆる意見には書く当人のポジションというものが存在する。ネット上のコメントも同様である。中立的な意見でない場合、特に立場性が色濃く出てしまう。では、今回のようにお店に執拗な嫌がらせをする人物というのは、どういった立場にあると考えられるだろうか?


最も簡単な答えは”恨みがある人物”ということになる。恨みにも様々な種類がある。嫌がらせが1回限りであれば、利用客(愉快犯を含む)である可能性も高まるだろう。しかし何度も繰り返される場合には、競合関係にある同業者の嫌がらせが特に疑われることになる。


このあと筆者はとんでもない見落としをしていることに気付いてしまった。

2011年2月22日 (火)

食べログの功罪(1) ~風評被害問題を考える~

食べログとは、飲食店をランキングと口コミで探せる便利なサイトである。既に利用しているという方も少なくないだろう。筆者もランチの行き先に悩んだときや、宴会の幹事を受けた場合には必ず活用してきた。


食べログ利用の際には、サクラやいやがらせの存在を意識し、鵜呑みにはしないよう心がけつつ参考にするのが常だった。ネット歴の長い人間としては当然の考え方だ。


ただ一方で、度の過ぎる行為には何らかの対応がなされるものだと、おぼろげながらに考えていた。だが、そんな甘い考えは打ち破られることになる。今回の一件で、その信頼を根底から覆しかねない一面を垣間見てしまったからだ。


きっかけは、筆者がたまに利用するある店舗(具体名は後述する)の口コミ評価で暴言を目にしたことだった。これが気になって多面的に調べた結果、とんでもない事実が明らかとなるのである。


以下、全6回程度のシリーズで、食べログの”光と闇”について報告する。今回の記事では、筆者の研究分野である”ネット世界における心理分析”と”日本語の言い回しによる解析”をフルに活用するので参考にして欲しい。


舞台となった店は三多摩地域のあるレストランである。現在、風評被害に関する実証実験が進行中であるため、今は店名を書かないが、シリーズが完結する折には全てを明らかにするつもりだ。その店舗のプロフィールについては簡単に記しておこう。


パスタを中心とした洋食店でマンションの1階に入居している。オープンから3年も経っていない比較的新しい店だ。50代とおぼしき陽気な店主が仕切る客席数40席程度の中規模店で、オシャレな店構えと南西向きのテラスが特徴となっている。


集客面では若い女性客を中心に程よく賑わっている。ランチ時間や金曜日の夜は満席になることも多い人気店だ。筆者が不動産業務の関係で見ている東京23区内の飲食店と比べても、店作りには成功していると言える。


この店の商売が上手く行っている理由を一言で書くとしたら、(失礼ながら)味は可もなく不可もなくだが、安価でより高価格帯のお店と同等の雰囲気を味わえる、ということになるだろう。


そんな店の食べログでのコメント群を偶然目にしたとき、筆者はあまりの驚きに息を呑むしかなかった。詳細は実証実験後の解説でオープンにするが、目を覆いたくなるようなコメントに満ち満ちていたからだ。


ただ、このときの筆者は、現実社会の実態とネットという仮想空間の評価に隔たりがあることに違和感を覚えたものの、それが作為によるものだなどと確信していたわけではなかった。

2010年10月15日 (金)

《読書感想》 第三の買収 牛島信

企業買収や防衛の勉強のために読むのであれば、本職弁護士の手になる作品なので、これ以上は無いというテキストだと断言できるかと思います。もちろん執筆後に制度が変わっている部分については補う必要がありますが、法務担当者必携の書と言ってもいいでしょう。

ただ、純粋に「小説」として見ると、人物描写が繊細さに欠け、性格等の設定にやや難があるため感情移入がしにくい面があるのではないかと思います。根本原因は、キャラクターを書きたいストーリーに沿って雑に動かしていること、即ち人物本位ではなくイベント本位で執筆しているためでしょう 。

常勤監査役の最終決断に至る心情や、ラストのEBOに対する社内の反応など、読んでいてどうしても違和感の拭えない部分が少なからずありました。弁護士として書いてみたい事件がまずありきで、登場人物を活き活き描写することを疎かにしているのではないかと言ったら言い過ぎでしょうか?

ただし、こうした”難癖”は本書の価値を著しく貶めるものではありません。この本で何より驚かされるのが、作者がMBOの問題に関して現実世界で起こりうり事態を小説の形式で見事に予見した点です。敏腕弁護士たる筆者の本領がこの「第三の買収」で見事に発揮されているわけです。

表現者としてはある種のぎこちなさが残るため、一般読者には取っ付きにくい面もありますが、会社が買われるとはどういうことかを知る上でも一助になる本書は、ビジネスマンなら手にとって損のない一冊でしょう。小説で描かれているような事件が、明日はあなたの身にふりかかって来るかも知れないのだから。

【雪風ファンドの読書感想(1)】

2010年9月26日 (日)

読者が大変な迷惑を被っている? -沈まぬ太陽批判に対する反論-

「沈まぬ太陽」は、日本航空の暗部をえぐり出すことに主眼を置いた山崎豊子氏の作品である。累計200万部を超えるベストセラーになり、昨年ようやく映画化されて話題にもなった本作であるが、事実とフィクションを織り交ぜて書いているために賛否があるのも事実だ。

読み終わった方には“日本新聞・鷹名記者”のモデルとされた記者による批判を一読することをお奨めしたい。本作品の中で、国民航空(日本航空)の思うがままに使われる記者として登場する本人の”沈まぬ太陽批判”である。

【論談小話】“日本新聞・鷹名記者”のモデルである高尾・日経記者による本作品への批判(タイトルはWikipediaから引用)

会長室編で鷹名という国航の御用記者のような人物が出てきた際、多くの読者は作者の創作があまりにも行き過ぎなのではないかと直感的に感じたのではないだろうか。しかし、書かれた本人による作品への反論を読むと、皮肉にも山崎豊子氏の書いたストーリーが決して根も葉もないものではなかったことに気付かされてしまうのである。

本作品への批判では、記者であるゆえか”小説”に対してもフィクションを認めない主張を延々と続けつつも、マスコミ人としての基礎である客観性・公平性を忘れ、作者やモデルとなった人物を「被害妄想、誇大妄想」と断じている。

そして、経歴や役職から判断して日航側に立って当然の人物によるコメントをズラリと並べて反論するのである。なかでも「堂本社長についての考察」というくだりは必読と言っていい。なるほど御用記者とはこういうものかという記述を目の当たりにすることになるからだ。

そもそも、山崎氏が本書で書きたかったのは、日本航空の暗部であろう。そのために組合活動のせいで10年近くにもわたり現代の流刑者とされた社員がいた事実、御巣鷹山で520人の命が失われたという事実、病んだ組織への改革を内外から妨げる動きがあった事実を拾い上げ、フィクションを織り交ぜつつ見事に活写しているのである。

「沈まぬ太陽」は一部の人物のために書かれたヒーロー物語ではない。筆者がこの小説で伝えたかった事実が何なのかを理解すれば、モデルとなった人物や団体の詳細が正しくないなどといった批判があまりに的外れであることも解るはずだ。

山崎氏はあとがきで、「巨大な組織であり、政治と結びついている航空会社の力は、予想を遥かに超え、個人の力など巨像の前の蟻に等しい。一時は挫折しそうになった。」と述懐している。これは、いかに週刊新潮の連載小説だった本作への妨害が凄まじかったかを暗に示している。

非常に勇気と忍耐のいる仕事だったが、許されざる不条理に立ち向かい、書き遺すことは現在を生きる作家の使命だと考えたとも著者は語る。ノンフィクションで全てをあらわにすることが困難な局面で、ギリギリの戦いをするために選ばざるをえなかったのが「沈まぬ太陽」で用いた技法ということなのだろう。

これが批判を招く結果にもなっているが、リアリティを追求し過ぎればとうに作品は闇に葬られ、日本航空の暗部をえぐり出すという悲願など達せられてはいない。このような「小説」に対し、取材をもとにして多面的に矛盾を突く努力には脱帽するが、だからといって「著者の晩年を汚すことは間違いない」「読者が人生観を誤り大変な迷惑を被っている」とまで言うのは、やり過ぎの観が否めない。